本当の優しさ、思いやり、本気
「怒られているうちが華」という言葉があります。
(「怒る」の定義や「叱る」との違いなど、言葉自体のどうこうや、理不尽に怒るような人については今日はスルーしますね。)
ある程度見込みのある人に対して、注意やアドバイスをしたり、時にはガツン!と言ったりといったイメージでしょうか。
本気で心配している人に対してもそうでしょう。
どちらにしても、怒ったり、叱ったり、注意したり、アドバイスしたりするにはエネルギーが必要です。
人の嫌がることをするんですから、余計にエネルギーを消費します。
そんなエネルギーを使ってまで叱ったり、注意してもらえるというのは、ある意味幸せです。
それだけ本気で心配してくれているということです。
間違ったことや悪いこと、筋の通っていないこと、不誠実な事をしているにもかかわらず、何も言ってもらえないのは不幸だと思います。
周りの人が気づいていない場合もあるでしょう。
周りの人が気づいているにもかかわらず、見て見ぬふりをして敢えて何も言わない場合もあるでしょう。
周りの人が気づいているにもかかわらず、口先だけ賛同、同調してくれる場合もあるでしょう。
敢えてエネルギーを使ってまで、何か言ってくれる人は、どちらかと言うと少ないかもしれません。
だって、他人ですから。(^^;)
結構おせっかいな私でも、ただ単なる知り合いの場合、仮にその人がおかしなことをしていたとしても、直接自分に影響が及ばなければ、敢えて自分の時間とエネルギーを使ってまで何かを言おうとは思いません。
直接自分に影響がある場合は、言いますが。(笑)
逆に、大事に思っている人の場合、何かを言うことで、仮に嫌われようとも、「自分はこう思う」と言います。
それが恩人であっても。
最近は注意もしにくいような、生きにくい世の中になっているような気がしていますが、注意したり、叱らないのは決して「優しい」わけではなく、「甘い」だけだと個人的には思っています。
本気の優しさは、時には厳しいものだと。
その優しさの本質が、その時には理解できない場合もあるかもしれません。
でも、自分が成長した時、その優しさの本質、本当の優しさが理解できるのではないかと思います。
なあなあの家族、なあなあの学校、なあなあの組織、なあなあの会社などは、筋も通せない甘えん坊を大量生産するだけなんじゃないかなと。
ここ数日、こんなしょうもないことを考えてました。(笑)
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