園部にやって来た

2007年6月15日

「田舎でホームページ制作」のカテゴリをつくったものの、なぜ私が園部町でホームページ制作の仕事を始めたのか、ご存じない方も多いと思いますので、まずそのあたりからお話ししたいと思います。

1999年、それまで勤めていた会社を依願退職。(この時、人生で唯一の「退職届」というものを書きました。)
その年の5月に出身地である奈良県から園部町にやってきました。
「園部に知り合いでもいるの」とよく聞かれましたが、その当時は全く知り合いもいませんでしたので「誰も知りません。親戚もいません。」と答えると、次に聞かれるのが「なんで奈良から園部町に?」という質問でした。
これが運命と言いますか、縁と言いますか、本当にたまたまなのですが、実は先ほども書きましたように、1999年に入ってすぐそれまでいた会社を依願退職し、無職の状態にもかかわらず、6月に結婚する予定で(よく妻の両親が結婚を許してくれたものだと、今でも思います。すごいです!)、その当時妻は綾部で働いており、私は次の職を京都市内で探していましたので、両方が同じ程度通いやすい場所として園部町が候補に上がったわけです。
そこで妻の知り合いの協力もあり、園部町小桜町に家を借りる事となった訳です。
その時より私の園部町ライフがスタートしました。
園部でホームページ制作を始めるのは、その3年ほど後の事です。
そこへのいきさつは次回にさせていただきます。

これを書いている途中で色々な事を思い出しました。
お世話になった方々にこの場を借りて感謝いたします。

「気持ちよく退職届を受理していただいた会社の方々」へ
社会人としての常識やその他ものの考え方など、様々な事を学ばせていただきました。最後には卒業証書までいただき、ありがとうございました。正直心の中ではうれしくて、泣いてました。

「園部で家を貸してくれる方を紹介してくれた方」へ
なかなか見つからず苦労していたんです。本当に助かりました。

「何者かも分からないのに家を貸してくれた大家さん」へ
いつも良くしていただき、ありがとうございました。

「その何者か分からない人間の保証人になってくれた方」へ
本当に助かりました。でも、保証人になる時は気をつけてくださいね。

「無職の男との結婚を許してくれた妻の両親」へ
自分が親になってみてあらためて、「すごいなぁ」と思っています。自分に同じ事ができるかどうか・・・現時点では自信がありませんが、自分の育てた子の全てを信じられるよう頑張ってみようと思います。

「その当時のご近所さん」へ
いい男が無職でふらふらしているし、習慣は知らないし、不気味な思いをさせてしまったことと思います。色々教えていただき、ありがとうございます。

他にも沢山の方々に助けられ、今日元気にやれている事を感謝しています!

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1971年、奈良県橿原市生まれ。京都でWebを中心としたプロデュースなどを行うオフィスピコッツの代表。これまで多種多様なWEBサイトの制作や運営、プロデュースに携わり、複数のWEB系のコンテストなどでの受賞暦も持つ。 現在、WEBサイトの作成や運営などはもちろん、新規事業立ち上げのサポートや各種プロジェクトのアドバイザー、大学校や高校の講師、PTA会長、CEOなど、活動の範囲を広げている。