園部では寝るだけ・・・

2007年6月26日

前回3回目にして、ようやく1999年11月まで話が進みました。
今日はその続きです。

紆余曲折ありながらもインターネット関連会社への就職が決まった1999年11月。今までどこにも発散できなかったエネルギーを「いよいよ活用する時がやってきた!」と思ったのもつかの間、独学&にわか仕込みの知識では本業として通用するわけも無く、見事に初日で玉砕!?
鼻っ柱も思いっきり折られました。
ほとんど全てが未知の世界・・・さらに一から社員教育をしてくれるような大企業でもないので、「即実践」が求められます。ですが実践方法が分からず、質問しようにも皆大忙し状態。
やる事が分からない、やり方を聞くこともできない、できないけどやらなければならない。迷宮入りです(^^;)
何とか自分で方法を調べ、やるものの、返ってくる答えは「やり直し!」の一言。
当然、精神的にはかなりきつく、働き始めの数ヶ月はきつかったですねぇ。
昼休みにはコンビニに昼ご飯を買いに行き、二条城近くのベンチで一人昼ご飯を食べてました。色々考えながら。昼ご飯を食べた後会社に戻る時の足取りの重い事と言ったらありませんでした。
ですが、ここで辞めてしまう訳にはいきません!
なんせ、転職時に結構苦労した記憶が鮮明に残っていましたから。
(よく辞めさせられなかったと思いますね)
そんなこんなで数ヶ月ヘロヘロになりながら、なんとかある程度仕事らしいものが出来るようにもなり、色々な事をさせていただき、勉強もさせていただきました。ほぼ毎日終電かお泊りでしたね。きつかったぁ。
その間、私の後にも入社してくる人がいましたが、だいたいがその状況に耐え切れず、早い人で3日、長くても10日ほどで来なくなる人がほとんどでした。
このしんどい時期を過ごしている間に年は変わって2000年になっていました。

2000年は比較的順調に進み、会社は規模が大きくなり1フロア借りる程に。
展示会やCMなど広報関係にお金を使ったり、給料が大幅に上がったりと、「このまま」うまく進みそうな感じがしていました。
規模拡大時期には総務的な仕事から、社長秘書的な仕事から、企画から、営業からetc. 経理以外のほとんどの事を体験しました。この経験は今から考えると良かったですねぇ。飛び込み営業もやりましたし。

この頃の生活がまたひどく、毎晩終電に乗れたら良い方で、乗れないこともしばしば。とんでもない酔っ払い(私)は「迎えに来て」と妻に電話する次第で・・・無茶苦茶です。

さて、順風満帆に思えた2000年、世の中はそんなに甘いものでは無いという事を再確認する出来事が。
この話は次回にさせていただきます。

ここで、お世話になった方々にこの場を借りての感謝第3弾です。

「親身になってくれたハローワークの方」へ
いろいろと教えていただき、ありがとうございました。

「見て学べ!的な育て方をしてくれた入社当時の会社の方々」へ
正直かなり苦しかったです(^^;)ですがあの経験が困った時に生きています!

「その後同僚となった会社の方々」へ
いろんなタイプの方々と接する事ができ、良い経験をさせていただきました。特に人生の先輩方のお話や考え方は今も生きています!

「酔っ払いの我がままを聞いてくれた妻」へ
今考えると「ありえない」ことばかり言ってました。無茶苦茶です。よく我慢してくれたと思います。心より反省、そして感謝しています。
(振り返ると妻あっての今の私ですね。その事はつくづく感じます。今も。)

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1971年、奈良県橿原市生まれ。京都でWebを中心としたプロデュースなどを行うオフィスピコッツの代表。これまで多種多様なWEBサイトの制作や運営、プロデュースに携わり、複数のWEB系のコンテストなどでの受賞暦も持つ。 現在、WEBサイトの作成や運営などはもちろん、新規事業立ち上げのサポートや各種プロジェクトのアドバイザー、大学校や高校の講師、PTA会長、CEOなど、活動の範囲を広げている。