世の中甘くないですね。

2007年6月28日

前回(4回目)は2000年まで話が進みました。
仕事の上では順風満帆の状態。これからどんどん登る一方かと思われたのもつかの間・・・世の中はそんなに甘く無いと思い知らされる出来事が。
という話から今回は始まります。

仕事は順調、給料もアップ、会社の規模はすさまじい速さで大きくなり(今思えばこれが悪い兆しだったのかも)、これまでに無いスピードで物事がどんどん進んで行きました。

そんなある日、嫌~な情報が耳に入ってきました。
会社の経営がうまくいっていないetc…すべて悪い情報です。
情報の真偽は後程ハッキリするのですが、ここでは詳しくは述べませんね。
そんなこんなで、社長が消え、役員が消え、給料が支払われず・・・約1年間ほぼ無給で働く事となりました。その間にほとんどの人たちは当然ながら転職し、最後に残ったのは数人。労働基準監督署指導のもと、事実上の倒産と認定される最終段階まで残っていました。
なぜ無給で働き続けたのか?
今から考えるとかなり疑問ですが、その当時は変な使命感のようなものを持っていたんですね。

この最後の1年ほどは、また違った意味で色々な事が経験でき、今となっては良い経験と言えます。
その当時は前回の無職時よりきつかったですよ!
胃は痛くなるし、10円ハゲはできるし、なんせお金がない!(^^;)
ただこの時の踏ん張りのお陰で、当時のクライアント様の数社は、その後個人で仕事を始めた際にも応援していただけました。
自分勝手な考えかもしれませんが。

そんな訳でして、2001年にはまたもや無職状態に・・・

ですが、ありがたい事にオフィスの一部を貸していただける方もいらっしゃたこともあり、個人事業の真似事のような事を始めたのでした。
しかし、全く0ではなかったものの、当然Web制作一本でやっていけるほどの稼ぎも無く、かなり厳しい状況が続きます。
この時は、再就職するか、個人でやって行くかという2つの選択肢の間でフラフラしていたような感じです。
この当時オフィスの一部を貸していただいていたのが、京都市内でしたので、まだこの時点では、田舎でホームページ制作はしていない状況です。
まだ、「園部では寝るだけ」状況ですが、今回はここまで。
続きは次回にさせて頂きます。
(実はこの年、娘が生まれるのです。無職なのに。)

ここで、お世話になった方々にこの場を借りての感謝第4弾です。

「労働基準監督署の方」へ
困り困った私達の手助けをしていただき、ありがとうございました。

「ご迷惑をおかけしたにもかかわらず、応援してくださった方々」へ
おかげさまで今元気にやれています!あの時に助けていただいたからこそ、ここまで来れました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします!!

「オフィスを貸してくださった方」へ
今から考えると大変ありがたい事をサラッとしていただき、感謝するとともに尊敬しています!当時色々なご相談にも乗っていただきました。個人事業を開業しようと決意したのは、社長のアドバイスのお陰です。

「人生2度目の無職で心配をかけた妻」へ
またもやとんでもない経験をさせてしまいました。普通に無職だけでも心配なのに、この年には娘が生まれたんですから。つくづく、よく耐えてくれたと思いますし、感謝しています。

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1971年、奈良県橿原市生まれ。京都でWebを中心としたプロデュースなどを行うオフィスピコッツの代表。これまで多種多様なWEBサイトの制作や運営、プロデュースに携わり、複数のWEB系のコンテストなどでの受賞暦も持つ。 現在、WEBサイトの作成や運営などはもちろん、新規事業立ち上げのサポートや各種プロジェクトのアドバイザー、大学校や高校の講師、PTA会長、CEOなど、活動の範囲を広げている。