田舎でホームページ制作を志すも・・・

2007年7月2日

前回(7回目)は2002年中頃まで話が進みました。
開業届を出し、商工会に入会したところまでお話ししました。

前回もお話ししましたが、「少しでも信用を得よう」とここまで進んだものの、それだけで仕事を得られれば、みんな成功するわけで・・・低迷の日々が続きます。焦ります。
当然いろいろ考えるのですが、考えるだけでは何も前に進まないんですよね。それはわかっているのですが、踏み出す気合が足りず、どこに向かって動けばいいかもわからず、しょうもない事ばかり考えているような日々。
しかし、私には子供がいます、妻がいます。ここで踏ん張らなきゃ男じゃないでしょう!
というわけで、手当たり次第に思いつく事を実行。
全てはとてもご紹介できませんので、ごく一部を。

1.以前の会社で知り会えた人達に片っ端から連絡
これは普通皆さんされますよね。「開業しました」とか「会社設立しました」とかいう類です。当然、会っていただける方にはどんどん会いに行きました。でも、この当時を振り返ると結構かっこつけていたんですよね。見栄を張っているというか、弱みを見せないようにしていた感じです。経験豊かな方々にはバレバレなのにね。

2.ホームページを開設及び充実
これも当然。
ありあまる時間を利用し、毎日コンテンツの拡充ばかりをしていました。
今作れといわれたら、「ごめんなさい」と謝ると思います。

3.園部の情報を収集
園部には寝に帰ってくるだけでしたので、全く知らなかったんです。
子供が育っていく環境を知らない親というのもどうかと思いまして、いろいろ調べて行ったですね。仕事のない苛立ちと焦りを動く事でごまかすことも目的だったと思います。
これは直接仕事とは関係ないつもりだったのですが、後に役立つんですね。(後日紹介します)

4.声がかかった仕事は全て受注する
どんな条件でも声をかけてもらえた案件は全て受注していました。
それがたとえ無理な条件でも、連日徹夜になろうとも。
そして可能な限り早く、丁寧に。

後に私自身はこの時期を「種まき」の時期と呼んでいます。
この時期は正直、売上もほとんどなく、当然利益もほとんどありませんでした。「実」は収穫できていません。
ですが、無茶苦茶動きまくっていたこの時期は、以前のような動かずに感じる不安はなくなりましたね。
不思議と「種まきまくったる」という思いがあり、「その種はいつか実を結ぶ」と勝手に信じ込んでいました。

と、言いながらも、この時期、しんどさを紛らわす為に「日吉ダム」によく釣りに行っていました。このころは人も少なくて丁度よかったです。崖のようなところを降り、変なところに入り込み、夕立に会い、登れなくなり、携帯はつながらず、死ぬかと思ったこともありますが(^^;)

今回は2002年中頃から2002年後半頃の「種まき(初期)」の話になりました。次回は種まきの続きをお話したいと思います。

お世話になった方々にこの場を借りての感謝第7弾は次回に持ち越しです。
ですが、皆さんありがとう!

今から作業です・・・

The following two tabs change content below.
1971年、奈良県橿原市生まれ。京都でWebを中心としたプロデュースなどを行うオフィスピコッツの代表。これまで多種多様なWEBサイトの制作や運営、プロデュースに携わり、複数のWEB系のコンテストなどでの受賞暦も持つ。 現在、WEBサイトの作成や運営などはもちろん、新規事業立ち上げのサポートや各種プロジェクトのアドバイザー、大学校や高校の講師、PTA会長、CEOなど、活動の範囲を広げている。