父の死後 高校時代

2008年4月24日

前回、高校入学直後に父親が逝ってしまったところまで書きました。
今回はその続きです。

父親が死亡すると、1週間ぐらい休みもらえるんです。忌引きってやつですね。
いきなり予想もしなかった事態が起こると、人間現実逃避に走るんでしょう。
学校に行かなきゃ行けない日まで、ずーとゲームしてました。
睡眠もほとんどとることなく、ひたすらゲームを。引きこもりみたいな感じですね。
その間に、学校の先生やら、知り合いやら、友達やら、いろんな人が来ては、慰めの言葉をかけてくれるのですが、正直ぜーんぶ素通りです。
今にして思えば、理解できるんですが、その当時は、まだ父親の死を自覚できていないんだから、心に響かないですよね。
あの時に出会った人は、「何と淡々としているのだろう」と思ったんじゃないかと思います。

そして、いよいよ学校に行かなきゃ行けない日がやってきます。
特に気分が重いわけでもなく、以前のように学校に向かったのですが、思いのほか、みんなが腫れ物に触るような微妙な空気で、現実が少し理解でき始めた感じで・・・
たった1週間しか休んでいないのに、そこは進学校!あっという間に授業が理解できず、さらには、いきなり中間テスト・・・無理!

人生で最も悪い成績をいただいちゃいました。
しかしながら、いくら進学校といえども情はありまして、父親の氏を迎えた生徒には少々気配りをしてくれました。

そして、少しずつ現実が理解できてくるんですね。
↓こんな事を。

母子家庭になりました。
今まで家にいた母親が働きに出るようになりました。
通っていた学校が私立で、しかもお坊ちゃん学校と言われるところなので、学費が高いんです。やめなきゃいけないかなぁと。
でも奨学金というもののおかげで、なんとか。

近所のおばちゃんが、色々言ってるんですね。
井戸端会議の声が聞こえてきました。
家の話です。
余裕のあるご家庭の方々は人の不幸は密の味なんでしょうか。

小遣いはもちろんあまりないんですね。
学校がお坊ちゃん学校だけに、みんな金持ちなんですよ。
お金持ちと学費どうしようとか考えてるような奴とでは釣り合いませんよね。

世の中は結構シビアなんですね。
なかなか親身になって助けてくれる人っていないもんですね。

と色々な事を感じ、だんだんと人を信じなくなりました。
この頃から、つい最近まで「基本的に周りはみんな敵」と思うことをパワーにして生きてきたような気がします。人を信じる事もほとんどせず、「どうせ裏切られるんだから、信じる必要はない」と。

高校1年生の時期は大きな転換期でした。

あまりにも暗いので、最後に少し明るい話題でも。
こんな経験があったからこそ、今の自分がいるわけだし、色々と大切なものにも気付けたわけで、自分が嫌な思いをしたような事は、絶対に人には感じてもらいたくないと考えられるようになれました。
経験していなければ、もしかすると、自分の言動で気付かないうちに他人に嫌な思いをさせている事もあったかもしれませんし、似たような境遇の人に相談された時に役に立てるかどうかは分かりませんが、経験から得たものを伝える事が出来たと考えています。
やっぱり、経験していない人にいくら言われても真実味がないですもんね。

まだ続きがあるのですが、そろそろ眠気がピークに達したので、次回に!

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1971年、奈良県橿原市生まれ。京都でWebを中心としたプロデュースなどを行うオフィスピコッツの代表。これまで多種多様なWEBサイトの制作や運営、プロデュースに携わり、複数のWEB系のコンテストなどでの受賞暦も持つ。 現在、WEBサイトの作成や運営などはもちろん、新規事業立ち上げのサポートや各種プロジェクトのアドバイザー、大学校や高校の講師、PTA会長、CEOなど、活動の範囲を広げている。